二ャス1104

最近ペンを持つ時間以外に拠り所がなくて困っている。時たま、握りながらでさえもトラウマがフラッシュバックしていて、困る。大半の時間、嫌な記憶の反芻または他者に対する自分への加害妄想、裏切り、でもそういう負の感情ばかりに目を向けていると、自分がそれらに浸かってコーティングされていってしまう。そして、妄想が事実になる。弱さを狙った人間が、実際に及ぶ。今までそうやってやられてきた。だから、弱さを打ち明けるのはごく一部の人々だけでいい。弱さは共有されるべきものだけれど、個人のものはダイレクトな犯行動機に繋がってしまう。
だからどうにかして、分かりにくく、理解されにくい形に昇華させて、1人で満足したくなるけど、何かと気持ちが追い詰められると、形にするのさえも億劫になってくる。そういう時はこうやって文字にする。

私は、弱く、暗い人間だと思う。でも、いつも泣き笑いながら過ごしている。ときには優柔不断に、でもほとんどが両極端であるけど、そうやって私は不安定に暮らす。不安定なのが、私にとっての安定であることを、この歳になってやっと理解した。

弱さというものは、自分自身の気持ちを掻き乱す大きな波を生むけれど、それはただの傷が気まぐれに泣いてるだけです。瘡蓋や傷跡が人よりも、ずっと多くて、そもそも肌も心も弱いんだから、仕方ない。七転び八起き的な感じで、いつもどうにかなると思ってる。
でも、それでも、やっぱり辛い時は辛い。
そういう時、いつもよくわからない。他人の優しさに触れても、欲しいものを自らに与えても、何もかも悲しくなるような、でもそれは悲しさを自分の手で引き出してしまっているのかな?とか思って、あんまり深淵をそれこそ見過ぎないようにしてる、けど、どこからどこまでが自分なのか、だんだん分からなくなる。
死にたいと泣き喚いていた自分を知っている人こそが、私を知っているのか、それとものんびり変なことをムニャムニャ聞いていた人が、私を知っているのか、でも、他人からしてみれば答えは明白であり、両方が私である。だから、私だけが、私を分からないのだ。

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